JUGEMテーマ:日本のTVドラマ
『おんな風林火山』というかつてのTVドラマは、1986年のTBSテレビ連続時代劇だったのですが、戦国時代の歴史好きにとって大傑作でした。現代の歴史では異説や新説はあるようですが、これはドラマをかつて見た私の印象から記事にしました。
日曜夜8時の放映でしたが、当時新社会人として、モーレツ社員の生き残りみたいな生活をしていた私は、職場から見たこともありました。
当初は、やはり犬HK大河ドラマが絶対だと思っていましたので、その放映は知っていたのですが通俗的な印象がして初回からは見ていませんでした。
戦国時代を女性の目からとらえた、斬新な内容で、子供のころから戦国の歴史に興味を持っていたので、恋愛ドラマに興味のない私が人生で見た日本史物で最高傑作になりました。実際はそれほど視聴率は伸びなかったようで残念。
女子の政略結婚と、新羅三郎義光以来の武田家が勝頼の代となり滅びていく悲哀が詳細に描かれています。
元来忍者漫画(すべて白戸三平作)を見て育ち、小学校時代には最も尊敬する人は忍者の親分真田幸村と宣言したのですが、大河ドラマ「真田丸」を私の中では上回っています。
偏見を持っていたのが途中から見てびっくり。かなりマニアックな内容なのですが。毎回盛り上がるとてつもない感動作でした。
今でも時にCSで再放送してるようでしたが。特に最近は決まった番組しかTVは見ないもので。近年我が家のTV画面は、youtubeがほとんど。専業主婦の妻はNETFLIX。民放も頑張ってほしい。
戦国大名の雄として人気も高い「武田信玄」五姉妹の、五女(四女)である「松姫」が主人公。
ドラマでの五姉妹は以下。
主題曲の原曲はアメリカのもので、当時のヒット曲。日本語カバー曲の歌詞は、このドラマの為に書かれたらしい。歌謡曲には興味ないのですが、歌手椎名恵の穏やかな歌声は良かったです。
・長女;波瑠姫・・黄梅院 (北条氏政正室)。信玄の正室「三条夫人」(ドラマでは舞姫と呼ばれ、きつい印象でしたが、美人だったという)との娘。駿河の今川氏真が相模の北条氏康と組み、甲斐の信玄へ塩を売ることを禁止し、狭間の彼女も苦しむ。武田と北条の関係悪化で離縁。古府中(甲府)に返され若くして死去。小田原で亡くなったという説も。
・次女;佐保姫・・見性院 (穴山梅雪正室)。同じく信玄の正室「三条夫人」との娘。正室は貴族出身で気位が高く、信玄との夫婦関係は既に破綻。姫は正室とともに、ことあるごとに主人公松姫をいじめる。御一門衆筆頭の夫は後に徳川へ裏切る。晩年は松姫と和解?
・三女;真理姫・・一門衆で、織田との国境で苦しみ、後に武田を裏切る木曾義昌に嫁いでいる。長寿であったが、子らが磔刑にされるなど最も悲劇的な人生。夫だった義昌は、大河ドラマの真田丸に山賊の親分みたいな風体で登場し、大河「鎌倉殿の13人」でも活躍した、旭将軍こと木曽義仲と同族と。善政をしいていたそうですが、大河の真田丸では信繁の祖母「とり」から叱責されたり。秀吉の小田原攻め後は、千葉県旭市に転封となったと。市名の由来となったらしい。このリンク元の温泉宿は、宿泊したことありますがよいところでした。
・四女;菊姫・・松姫と母は同じ甲州一の美人とされた、油川夫人。信玄最強のライバル上杉謙信の跡取りになった上杉景勝の正室に。甲州婦人・賢婦人としてドラマでは唯一幸せになった姫。当初はやはり政略結婚で、信長と対立する長島一向宗の「願証寺」5世顕忍と婚約。信長に攻められた顕忍が自刃したショックで一時出家する覚悟に。ドラマでも美人でした。最終的に旦那になった景勝もいいやつだったなー。ちなみに、顕忍との婚約を手配したのは、正室三条夫人舞姫で(妹が本願寺顕如の裏方だった縁もあって)、対織田で本願寺との同盟は武田家にも有効な作戦でしたが、これをきっかっけに織田の忍者に夫人は毒殺されてしまう。
・五女;松姫・・有名な川中島の戦い最中に、側室藤野(油川夫人)の子として出生。両親から愛されるも主人公に相応しいいじめられっ子。継母三条夫人と、元アイドルの次女佐保姫からのいじめはひどかったです。八歳になった永禄十一年に信長の嫡子奇妙丸(十一歳、後の信忠)と婚約したのが、純愛と苦難の始まり。傅役は下島政茂。
また織田信長の五男であり、武田に人質となった織田勝長に、ドラマでは姉のように接していた。勝長は信忠と共に本能寺の変で自害。
ちなみに信忠の傅役は織田掃部(ドラマの彼はひどくかっこよかったです)。松姫と信忠婚約の使者としても登場。
同母兄の仁科盛信は数少ない松姫の良い理解者。妹の於松と信忠との逢瀬を手助けするなどし、信忠とも出会います(実際は、松と信忠は会う機会はなかったと)。
桶狭間の戦い後、弱体化した今川家を信玄は海を得るため攻めるが、今川義元の娘を正室にしていた嫡男「武田義信」(役者は当時の美男代表志垣太郎)は父と対立後に自害。
ドラマでも活躍する猛牛のようで、優しくもあった武田二十四将代表秋山信友の猛攻で、恐怖のため脱糞したと噂されたどうする家康(織田と同盟)を蹴散らした三方ヶ原の戦い後に武田家と織田家も手切れ状態となり、松姫は敵との婚約者となってなってしまい、父の正室と次女のいじめが加速、三女も参戦。
その後、天下に号令するため上洛途中に、信玄は病死(鉄砲傷が原因?)。
敵の信玄に塩を送ったとされる、酒好きの謙信も病死。私もアルコールは控えないと。
一方、後北条家の祖、早雲は88歳の長寿だったと聞いており、秘薬”ういろう”のおかげ?と思ってましたが、本当はそれほど長寿でなかったと。
諏訪家の名跡を継いでいた「勝頼」が後継ぎとなるが、長篠の戦い(設楽原決戦)で大敗。ドラマではなんと菊姫まで参戦?。
勝頼は三増峠の戦い(走り屋にも好まれる近くのヤビツ峠を含めて心霊スポット化していると)で殿をするほどの猛将でしたが、ドラマ後半では苦戦続き、暗雲が立ち込めます。
一方、あくまでも敵将信忠との悲恋を貫き居場所のなくなった松姫は、兄盛信の高遠城へ身を寄せます。
⇒後編はこちら。
]]>
JUGEMテーマ:一人旅
八王子は心霊スポットの宝庫だそうです。八王子権現が地名の由来と。
その代表である「八王子城跡」(日本遺産)にドライブで行ってみました。
東京最恐だとのことです。周囲に霊園も多いですが、私の調査では、先のリンク先最初の写真である電話ボックスは、霊園の正面にあるもの?のようで、このボックスでも出るとのことです。
27分頃参照
最恐伝説の由来には、天正18年(1590年)6月23日に城が落城したそうですが、多くの婦女子や武士らが自刃という悲劇がありました。
城山川で米をといでいた地元民のご飯が赤飯になってしまったほどとのことです。
地元の郷土史家のお話では、この梅雨時(旧暦)に訪れると祟られると云うことでした。その地元の方が難病になったらしい‥。
絶対その時期は避けましょう。それを避ければ大丈夫らしいです。
私は寒い時期に行きました。
上にある八王子神社が目標でした。
もちろん広い無料駐車場はあります。
ガイドも無料と。
ガイドさんらには祟りはないのでしょう・・・。
神社はこちらへ。
片道800mほどの軽いトレッキングです。でもこの歳になると結構よい運動になりました。
なんですと!
青梅の多摩川沿いにある釜めし屋がクマに襲われた話は聞いたことありますが。
とりあえず展望はこんな感じです。
平成2年(1990年)の落城400年という節目に、御主殿地区の石垣と虎口などの通路、御主殿に続く古道が整備されたそうですが。
八王子城本丸跡はまだ先のようですが、Uターンして下山。
鳥居を出て、御主殿跡の方へ行きます。
とりあえずガイドマップがこれ。
古道を進むとガイドさんらがいました。
城主氏照の館があった「御主殿跡」。
そろそろ逢う魔が時。
急に異空間に入ってしまうこともあるらしい。
いそいそと、すべての源泉「御主殿の滝」へ。
まるで遺影のようですが、道路工事で水量が減ってしまったようです。
どこかに心霊写真が写っていたら教えてください。お礼はできませんが。
今のところ私は元気に過ごしています。
戦国時代の雄であった後北条氏は敗北してしまいましたが、関東の安寧をお祈りしています。
北条軍の奮戦ぶりは以下。
#国史跡 八王子城跡(見学無料)
東京都八王子市元八王子町3丁目、西寺方町、下恩方町
(管理棟は東京都八王子市元八王子町3-2715-2)
冬の観光お勧め度:☆☆☆☆
|
JUGEMテーマ:一人旅
たまたまYouTubeを見て知りました。
愛車400Rの慣らし運転で何度かぶらり旅等をして、富士吉田市を訪れたことがあったのですが、そこに知る人ぞ知るのパワースポットがあるというのです。
それは日本最古の神宮という、「不二阿祖山太神宮」(以下太神宮と略)。現在はまだ再建途中というのですが、既にすごいエネルギーを放っているとのことで、行ってみました。
市内から少し外れたところにありますが、数か所駐車場がありました。
さらに驚くべきことに、かつて歴史の時間に習った、古事記や日本書紀(官製史料)とは異なる、現代は偽物とされる古史古伝という存在を知りましたが、その一つに「宮下文書」(以下文書と略)なるものがあり、富士山麓に古代王朝が存在したということでした。
秦の始皇帝時代に、日本にやってきた「徐福」も大きく関与しています。富士王朝の噂を知ってやってきたのかもしれませんね。秦国に戻る気は無く、事実上の移民だったらしいです。
かつて月刊ムーで読んだ覚えがありました。その中心となるのが、この太神宮とのことです。
現在は神道系新興宗教。
面白いことに、記紀には富士山が一切登場しないらしいです。
「東日流外三郡誌」は偽書説が強いそうですが、いくら西日本が中心とされていても、東征でヤマトタケルが火攻めに会い、草薙剣で難を逃れたのは駿河方面だったはずです。なぜ無視されたのでしょうか。
官製以外が偽書とされる大きな理由の一つに、皇国史観(当時の国防上必要でした)以外に、古文書が朽ちていく経過で書写されて、正本と副本ができる際にその時代の書記者が分かりやすく?書き直したりしたためではとのこともあるようです。
そもそもこの文書は雑多な資料が含まれていて、宮下家により管理されてきて、何度か消滅の危機があって、失われた部分もあるらしいです。
富士山の裏鬼門には、富士山本宮浅間大社があり、富士吉田市には、小室浅間神社もあります。
平日に有給休暇で訪れました。第2駐車場に何とか駐車。それなりの参拝者数。
当時はまず仮設の階段があったので上りました。
上るといろいろポスターが。
神皇記というのは、文書の存在を知った、明治時代に公証人役場勤務をしていた三輪義熈氏が、神代文字などで記された文書のダイジェスト版として、大正十年に刊行されて話題を呼んだという。
残っている文書のすべては、原書の影印版(写真撮影されて印刷)で八幡書店から「神伝富士文献大成」として昭和61年に出版されたそうです。国会図書館などで閲覧できると。南朝関係の史料も含まれていて、保管してきた宮下家が南朝の遺臣だからということです。
改めて、正面の石段を登り直し。
ムー大陸も関係あるらしいです。
まだ授与品の種類は少なく、車に貼る交通安全のシール類を買いました。
いきなりパワースポット代表の鳥居です。
左の地面に∞のマークがあり、この上を歩くとエネルギーアップ。逆回りすると・・・。
真ん中に立つと確かに不思議な感覚。
暑がりの私は、さらに寒さに強くなった気がします。
二杯二拍手以外に神社によってはいろいろありますね。
右のところに両手を突っ込んでみましたが、左手だけ暖かくなりました。
地底王国シャンバラと関係が・・・。
ここまで写真を撮っていて、突然スマホが動きを停止して、しばらく再起動もできなくなりました。
$不二阿祖山太神宮 元宮社務所 〒403-0002 山梨県富士吉田市大明見3537(※ナビ専用住所)
TEL:0555-24-3609 FAX:0555-25-6023
社務所開所時間:9時〜16時御参拝可能時間:6時〜17時半駐車場:第2〜第6駐車場をご利用ください。
謎のエネルギーアップ度;☆☆☆☆☆
]]>JUGEMテーマ:気になるご飯やさん
この春になりますが、愛車スカイライン400R(NISMOスポーツリセッティング TYPE-2 450ps)で、埼玉をぶらり。
越生町の街道沿いでたまたま見つけた和食店に入りました。
山吹の里「山富黄」。十割蕎麦がウリで会席料理が中心。
離れの個室もありこの田舎にしては風情があります。大広間もあるようです。
店名が「やまぶき」であることも確認せず、ちょうど開店直後に一歩入って気が付きました。
日本史は比較的好きなんです。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がらみでは、比企一族ゆかりの地も近い。
〽七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき(兼明親王)
彼のことは最初に江戸城を建てた武将ということと、この和歌の逸話、入浴中に暗殺されたことなどが思い浮かびましたが、食いしん坊の私は、写真を撮ることと食うことで頭がいっぱいでした。
すぐ裏に、「山吹の里歴史公園」があり、花の季節だったはずなのに見過ごしました・・・。
会席料理なら離れも利用できると。
まるで高級旅館のようです。
鹿島神宮の時と同じような緑の龍登場。
通常の店内は普通。
正面奥の頭のような黒いものは、心霊写真ではないと思います。
まずメニューから。食材にはこだわりがあります。
国産うなぎならよいのですが。
私は蕎麦が好物なのですが、最近は糖質制限してます。
この日は糖質を気にせず、御膳二種盛り蕎麦+ミニ丼セット(いくら丼)。
妻は不健康な、てんぷらセット。普段は二人とも揚げ物は食べないのですが。
高齢になったら食べてもいいらしい。健康も、短期的と長期的目標は異なるでしょう。
蕎麦はおいしかったのですが、それ以外は普通かな。
今時インスタグラムでなく、ブログで食レポするのはたいてい高齢者なんでしょうね(勝手にリンクして、ブログ主さんごめんなさい)。
老眼になると、スマホの画面が小さくて見るのが辛いし。
#山富貴
〒350-0412 埼玉県入間郡越生町西和田24TEL. 049-292-2808
お前が言うな度;☆☆☆☆
]]>
JUGEMテーマ:一人旅
ここ数年来、毎年遅い初詣に行っているのが、鹿島・香取神宮。
昨年も記事にしました。
本年のドライブは、反日犬HKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にちなんで、源頼朝が石橋山の戦いで惨敗後に、房総半島に上陸した由来の地からスタートしました。
一泊で初日に史跡めぐり、翌日に初詣の計画で、初日の道のりは、ネットで急いで検索したので、カーナビがあるとはいえ、訪れる順番に苦労しました。
頼朝が鎌倉に攻め上るまで、千葉に滞在した期間は短かったようですが。
この日はかなり風が強くて大変でした。天気は良かったのですが。
歩いて行ける公衆トイレもありました
上陸後の頼朝がまず参籠して源氏の再興を祈願したという、洲崎大明神。
御朱印もいただけると。
浜鳥居から富士山も見えるらしい。
7台分の駐車場あり。
近くには同名の神社があるらしいのですが、時間がなくて行けず。
熊野神社。
参詣した頼朝はその見事な松の木に感動し、源氏再興を祈念して白旗(源氏の旗印)を掲げて決意を新たにした、と言われているそうです。
とりあえず頼朝の千葉での足跡で、御利益がありそうな地を巡ったのち、本日の温泉宿へ向かいました。
かつて新婚時代は千葉で過ごしていたので、房総半島はだいぶドライブしました。そのころ宿の看板広告を見て印象に残っていて、しかも今どき稀になった、部屋食ができる宿だったので選びました。
それが今回の、”満ちてくる心の宿 (株式会社ニュー小湊ホテル)”「吉夢」。
起死回生を夢に鎌倉を目指した、頼朝と直接関係ないですが縁起を担ぎました。
宿のすぐ隣には、日蓮上人に由来する誕生寺があります。
深海にしかいないはずの鯛が見られるという、鯛の浦もあります。遊覧船に乗ったことありますが、私には鯛だか何の魚かわかりませんでした。なぜマダイが群れるのか原因不明と。
早速浴室へ。無人の浴槽の写真を撮るため、常にチェックインより早く宿に到着するようにしています。
誕生寺の仏舎利塔が見えます。
人心地ついて、この日一番のイベントが生ビール。
部屋から釣り人が見えますね。夜釣りもしてる様子。女性客にとっては、視線が少し気になるかも。
地ビールも売店で買って飲めました。
蔵元は「寒菊」だそうですが、オフィシャルHPの日本語が変。外国人に売春されたのかな。いや間違った、買収か。反日外国人でないとよいですが。
生ビールと地ビールの両方そろっている宿は稀。
温泉とビールの相性は最高。
部屋から見える日没の風景。
やっと夕食です。
かつて、宿でちょっと贅沢しようとすると夕の部屋食はほぼ常識でしたが、なぜか今は貴重になりました。
絶対リラックスできます。
お手元の袋はおみくじ?作成はお隣の誕生寺?
時間帯により男女の浴槽は入れ替わりますが、大浴場の構造は同じ感じ。
半循環式。循環しながら、時にチョロチョロと新しい源泉が追加されている様子。無味無臭で浴感(ツル=キシ)は乏しい。
P.S. 古い?温泉ファンとして、嬉しかったのが、部屋に必ず置いてある手ぬぐい。かつてはたいていその宿などの銘が手ぬぐいにプリントしてあるのが当然で、持ち帰って(日本人宿泊者にとって数少ない持ち帰れる備品)後に使用して思い出になったりするもの。段ボール一杯分所持していて、自宅洗面所の手ぬぐいはすべてこれ。今時は本当に少なくなった。日帰り専門の温泉センターには有料で売ってたりしますが。
翌日の朝食は大広間でのバイキング。
温泉内では、夕~朝と含めて、数人以下の男性(当たり前)しか見かけませんでしたが、半数位の席が埋まるほどで、この武漢熱の時代にしては人気の宿なんですね。
生ビール二杯に、お土産などで宿代1泊3万円ちょっと。
宿を後にしてから、愛車スカイライン400R(ニスモ2スポーツリセッティング済で、450psのファインチューン)で鹿島・香取の初詣にお参りしてきました。
#吉夢
〒299-5501 千葉県鴨川市小湊182-2
TEL.04-7095-2111(代) FAX.04-7095-2125
温泉後のビールが最高度;☆☆☆☆★
]]>
草JUGEMテーマ:健康
「ういろう」(外郎、ういらう)という和菓子は、私の小児期である昭和元禄の時代からTVCMで「青柳ういろう」を見て、名古屋が本場だと思っていました。羊羹と餅を合わせたような、さっぱりした感じです。
長州にもあり、わらび粉使用で生外郎がよいと。
同時期に、教育TVか何かで、「わがままはいけません。(ぜいたくはいけません。)」という題名だったか、小学校の道徳の授業時間に映像を見せられた。
名古屋?から、おばあちゃんがお土産に”ういろう”を孫に持ってきます。ところが孫は「ういろうはまずいからいやだ」と言う、といった内容だった覚えがあります。それ以来、ういろうはまずいものという観念が残り、この歳まで食べた記憶がありませんでした。
懐かしのTVCM二種。
時代によって、”あずき”と”あがり”の違いがあったらしい。
上質なこしあんのことを「上がりあん」というと。
小田原に、室町時代以来の伝統的で元祖の(本家争いの裁判もあったらしいですが、既に”ういろう”は昔から人気の広がりで一般名詞化と)”ういろう”が売られていると知って行ってみました。私は、和菓子のういろうの他に、同じ名で正式名「透頂香」(とうちんこう)と呼ばれる和漢薬処方(帝や将軍に薬を処方する御典医がこの薬を烏帽子の隙間に挟んでいて、暑さで生薬の香りが頭から漂ってきたので、帝からこう命名されたと)も販売していて、ここでしか購入できない(通販はしてない)貴重な万能薬のほうを購入したかったのですが(お菓子のほうは通販可)。一子相伝の秘薬!
戦国時代、武田信玄や上杉謙信も落とせなかったという小田原城近くで、さすがに天守閣みたいな外観。話によると、小田原城よりもこちらの建物のほうが古いらしい。どちらも小田原宿の構成遺産と。
小田原駅前店(調剤薬局兼和菓子屋)もあるようですが、透頂香は置いてないようです。
店内はこんな感じ。
さらに右には、喫茶スペースもあり。
ついでですから購入しました。
冷蔵庫で保存すると固くなってしまい、開封すると長持ちしません。固くなったら蒸さないといけない。
ちなみに杏仁の種は生薬にも使用され、咳止めです。
例の昔見たTVコマーシャルで、「〽白黒抹茶あずき(あがり)コーヒーゆず桜」で青柳では7種類あると(当時)。
こちら小田原本家?では6種類だという。
やはり青柳ういろうのTVCMが頭に残っている客が多いらしく、タイミングの悪いことに、青柳にあって、小田原には無いものを注文してしまい、ありませんと不愉快そうに店員に言われてしまった。
こういうタイプの高級版?もあります(生ういろう)。
御紋がすごい。外郎家(社長の祖先)が後小松天皇から賜った菊桐紋だという。10月上旬から5月中旬にかけての季節限定販売と。
中はこれで饅頭型。
お菓子のういろうに関しては、名古屋の方が詳しく調べてました。
ところで肝心の、和漢薬はこちらの左側薬局で。お菓子はともかく透頂香はここでしか購入できない。
馬に乗った武人の像は北条早雲。
右にカマキリの像がありますが、京都の祇園祭に由来するという。博多から京都に移住した外郎家が、数有る山鉾の中でも、カマキリのからくりが乗ることで人気の蟷螂山(とうろうやま)を創始し、さらに応仁の乱後に、小田原の北条早雲に招かれた途中に遠州森町に滞在してこちらの山名神社にも伝わったという.
ひょうきんな二人組の人形は十返舎一九の弥次喜多(膝栗毛)。
元祖ういろう家(外郎家)の由来は以下も参照。
お城に隣接して、支那料理屋(杏林亭)も経営していて、そこの敷き紙です。
ランチのみで、席数20以下の店ですが、地元食材使用で、フカヒレなどの本格料理も食べられます。
透沈香以外に販売されている和漢薬は、”妙香散”と”五香湯”(この系統か)・・五香散とは異なる。詳細は不明。”〜散”と似た名の”〜湯”とは全く別の処方のことはある。
漢方処方の”四逆散”は神経性胃炎などに使用される基本的方剤だが、同じ『傷寒論』由来の”四逆湯”はショックによる急性末梢循環不全などが適応(当然現代は救急医療が優先ですが)。
大中小一つずつにしてしまいましたが、大(約一か月分)を三個にすればよかった。
専用ケース(4色あり)も売ってます。
丸薬製造に、銀箔(これも冷やして、殺菌・鎮静作用のある生薬で、急性病向きか)はコーティングによく用いられる。
印籠型です。ケースに透頂香は含まれません。
なんにでも効くような効能書きです。今時こんな表記は許されるのでしょうか?
牛馬家畜にも有効と。牛や馬には人間の4倍量ほど必要で、ややもったいないが。
慢性疾患に対する、服用法のコツも記されています。1日1〜2回、一粒を30分ほど舌下で噛まずに溶かしてから服用というもの。ニトロと同じように、飲み込むよりも、口腔粘膜からの吸収のほうが初回通過効果により、即効性の点でも効率が良いのであろう。安上りでもある。1〜2回といわずに1日何回でも試す価値があるのでは。腰に印籠のケースをぶら下げるべきですね。
急性病には多め、慢性病には少なめに服用ということ。
歌舞伎に「外郎売」があるのは、歌舞伎俳優の二代目市川團十郎(だんじゅうろう)が持病で声が出なくなり、役者人生をあきらめかけていた所、「ういろう」の薬のことをきき、これを服用してみると病がすっかり治り、そのお礼にと演じたのが由来とのこと。
この透頂香以外にも江戸時代の以前から、日本各所に伝わる正統の漢方とは多少異なる民間薬(由来は正規の漢方処方のこともある)の中には、秘伝の和漢薬というものが存在していました。同じ名でも複数の会社が販売してたりする。
”萬金丹”(処方内容は主にこれ、コーティングは金箔と;鎮静作用は変わらないが、銀箔と異なり冷やさないので慢性病に適するか)なども、お伊勢参りの土産として有名ですね(処方の構成は仁丹・・明治時代から看板宣伝が目立った・・と似てる気がする)。小西萬金丹も代表的(建物の印象とは別にちゃんと販売もされてるらしい)とのことで、販売はこちらでよいのかな。元来は秋田藩に由来するとのこと。一時販売は一社のみになってたこともあるらしい。
これに対して昔からのライバルが”反魂丹”。「越中富山の反魂丹、はなくそ丸めて萬金丹、それを呑む奴あんぽんたん」と言われたのは、対抗意識の表れか。かつては支那由来の複雑な生薬構成だったが、現代版は(池田屋安兵衛商店)このように簡素化している。他社ではこんな感じ。
ちなみに仁丹の看板としても目立つロゴ、大礼服の人物モデルは、ビスマルクではなく外交官と。
仁丹の看板は、「鬼滅の刃」にも登場したような。大正時代は、肩に「毒消し」の文字が記されていたようだ。
腸が弱かった私は、中学生時代から仁丹を愛用していた。授業中に友人に投げたりもした。「技術・家庭」の授業中、見本として手にした小型「ベアリング」を落としてしまい、中のボールを失ってしまった時に、仁丹で補うこともできた思い出が懐かしい。
同級生には、森下君が存在していて、父親は森下仁丹社長と噂されていた。彼は仁丹を携帯してなかった気がする。
多くの和漢薬は薬事法の関係からか、途絶えてしまいましたが。
徳川家康の腹痛を治したという、和中散はもう入手できないみたい。
他にいまでも購入できる日本各地の和漢薬はまだいろいろあるようで、「おきぐすり」には多そうですが、代表的なものとして、奈良の吉野方面で役行者由来の「陀羅尼助」もありますね。お経だか呪文を唱えながら作ってるらしい。複数の会社が販売。下の写真よりもこちらが再大手?
小さな丸薬ですが、ペーストを乾燥した板状の製品もある。主成分の黄柏はキハダともよばれて、染料にもなり殺菌・消炎作用もある。
和歌山側では弘法大師由来?黄柏以外の成分は会社により異なることあり。
愛媛で山岳信仰の道場である石鎚山にも”石鎚山陀羅尼丸”があるというが(やはり役行者が関与)、これしか検索できなかった。置き薬の販売のみか。
信州方面では、”百草丸”が代表選手選手。西の”陀羅尼助”の好敵手。主成分も同じ黄柏です。
こちらも複数の販売会社があるようで、このほうが有名かな。
御岳信仰から生まれたと。ライバルみたいに作るときに呪文は唱えてないのかな。
百草丸系。普導丸の外観は仁丹みたい。木曽御岳山麓はキハダ(黄柏)をはじめとした、薬草の宝庫であると。百草丸を仁丹感覚で気軽に服用できるように木曽の日野製薬が昭和42年に創製。
またしてもピンぼけ💦。中央?高速道路のサービスエリア売店のカウンターにあった胃薬です。
胃に効く薬草単剤。延命草は弘法大師に由来があり、胃薬に利用されるゲンチアナの代用にされることあると。私は、食べ過ぎ・腹痛を目的に用いています。
日露戦争(かつての犬HKのTVドラマは楽しめた。DVDも購入しました。)の前に発売され、おそロシアを征伐に行く我が国の兵士が、食中毒対策(主に下痢による脱水を防ぐ)に携帯したのが征露丸ですが、戦後に正露丸として家庭薬になった。主成分のクレオソートが一時誤解されていたのが残念です。しかし、においも刺激も強烈なラッパのマーク正露丸は、虫歯に詰めて痛みに効くとされ、私は以前からそれを知っていた。自分で試したことないが。
今治水と同じように、局所麻酔的に刺激で痛みを紛らわすのでしょう。
中学生時代にたまたま保健室にいた時、虫歯が痛むという同級生がやってきた。私は勝手に、保健室にあった正露丸を虫歯に詰めるよう指示した。その時に腰を抜かしそうになった同級生を見たが、その後どうなったかはなぜか覚えていません。
今度日露戦争になったら、征露丸のほうを携帯して、服用するだけでなく鉄砲の玉として詰めて撃ってもよいかもね。
そういえば、元禄時代の大阪発祥で、昔からよくCMしていた便秘薬の”七ふく”も歴史は古い。
明治になると便秘の”毒掃丸”も登場。
”赤玉”など、多くは胃腸薬で、ういろうみたいな効能が多いものは稀か。
面白系としては、”首より上の薬”。便秘薬だが漢方の理論に基づく名称か。気が逆流し、上昇する状態(のぼせなど)を下げて、下剤にもなるということであろう。急性の便秘用か。
今でも入手できる。
これも全国区ですが更年期障害などの婦人薬として著名なのが”中将湯”で、入浴剤として銭湯などでも利用されたりする。
家庭用入浴剤バスクリンの原点は生薬だった。
同じく婦人薬の”実母散”(ティーパック式;振り出し)も銭湯御用達。歴史も古い。10銘柄ほどあるそうですが、観音様に伝授された”千葉実母散”と死産の妊婦を救った”喜谷實母散”が代表。
”命の母”も有名ですが、明治時代に創製で、生薬にビタミン入り。
乳児の疳の虫には関東で人気の”宇津救命丸”や関西では”樋屋奇応丸”。ともに貴重な生薬を使用。救命丸の元祖が”宇津〜”で、奇応丸は30銘柄くらいあると。元来急な腹部症状の薬で小児専用の処方ではない。
やはり貴重生薬含む著名薬が、心不全症状に有効とされる”救心”。その元祖が”六神丸”(こちらのほうが安価か?)。重要成分の蟾酥には、強心剤のジギタリス(症状は改善しても、延命効果はないと)のような強心作用があり、副作用が少ない。
延命できなくても、元気に過ごせれば、私は良いと思います。
六神丸Sは廉価版のようで、貴重生薬の麝香が、沈香(伽羅、こちらも貴重品)で代用されています。強心作用だけでなく睡眠改善作用もあるという前者のほうが良さそう。
亀田の六神丸が高級品のようで、老舗なので現在入手困難な麝香の在庫も豊富と。買うなら今のうち?
”萬病感應丸”も同系統の処方か。”正野感應丸”が入手できます。
貴重生薬として使用される”熊の胆(熊の胆汁)”はいかにも高価な感じがしますが、牛の胆汁はともかく、牛の胆石”牛黄”なんてさらに高そう。ガマの油(蟾酥)は含まれないようです。心不全には救心ということか。
ちなみに、救心は有名すぎて、救急センターや循環器科の医師に評判が悪いと。心不全症状には有効と思われるが、異なった病態の狭心症には無効。冠動脈疾患の高齢者が、救心を飲み続けて、結局心筋梗塞で担ぎ込まれるからだという。適応の誤りですね。
狭心症には”イスクラ冠元顆粒”が適応だが、”ウチダの 生薬製剤二号方”が同じ内容で入手しやすい。
高齢者は、心不全と狭心症両方合併していることも多い。
含有生薬の”丹参”が重要。これまで日本漢方では使用されてこなかった。
冠動脈拡張作用があるとされる。救心よりもこちらのほうが現代人向きかな。
元来、文化大革命で大混乱中の支那で、ストレスから狭心症が増えて開発された。
”敬震丹”は四国阿波の伝統薬で江戸時代文政年間創薬で、救心の系統。
能書。重要成分は牛黄で、ストレスからの動悸などに良いようです。動悸で寝れない人にも有効と。繰り返しますが、狭心症には適応外。かみ砕いて、すぐ飲み込まずに、香りをかぎながらゆっくり服用するの良い。
入浴剤なら薬湯 芳泉というのも人気だったそうですが、生産終了か。
湿布なら”糾励根”。ガーゼでサンドイッチにして外用しないと、患部に薬がこびりついて大変なことになる。
同様に痛みには下呂膏も家伝の秘薬。
ガマの油は筑波で購入できるが、すでに肝腎な蟾酥は含まれない。元来ムカデが主成分であったとも。
ムカデも蜈蚣と呼ばれて漢方生薬だが、油漬けは火傷やアトピーにも塗って効くと。自作できそう。
東京のど真ん中、外神田には(生薬の)黒焼き専門店というのもあり気になる。いつも定休日の日曜(土曜も休み)に行ってしまい、入店したことがない。
昭和54年までは、大阪にも黒焼き屋があったと。
漢方では黒焼きのことを霜(そう)と呼ばれ、支那から伝わり、江戸時代に日本で独自に発達したらしいが、わが国でもすでに奈良時代からあったという。
脳卒中後遺症に狐の舌の黒焼きとは?戦後に結核?で難治の人が、狐の舌煎じで良くなったというが。
イモリの黒焼きも滋養強壮用に売ってますが、女の子に振りかけると惚れ薬になるらしい。
赤とんぼの黒焼きは、鼻から吸い込んでのどや咳に良いと。研究した人もいる。
髪の毛の黒焼きは止血剤で、月経過多用などにというのは比較的知られてる。
歯磨きで歯槽膿漏に茄子の黒焼きは最も有名。
雑草の黒焼き?というのも存在するらしく、かつては500種類もあったと。
かまどのすすなんてのもあり、焼くまでもない安上りな感じだが、”発狂”に効くと!
てんかんには雉の黒焼き、神経衰弱、頭痛、脳疾患には猿の頭の黒焼きというお話も。
猿の頭の黒焼き(猿頭霜)はさすがに高額、創業明治15年手塚スッポン店(宇都宮の漢方店)で見て衝撃を受けたが、この店は通販もしてる?
支那では猿の脳が薬膳になると。
昔、ヤコペッティの映画だったか、生きたままの猿をテーブルで囲んで脳を食べるという、もはやホラーというしかない映像をTVで?見た覚えがある。
支那の生薬には古来グロイものは珍しくない。極端な例では人糞の利用まである。変な生薬は世界的に存在するようですが、支那の「本草綱目」の記載が有名。
東京の蔵前には、マムシ系で明治17年創業の「蛇善」があり、こちらもいつも気になっていたが、やはり日曜祭日が定休日。写真撮影禁止の予約制でこっそりと食事もできると。薬膳?
そういえば蛇料理といえば、近くの御徒町で目立つ文久堂もレストランがあると。上野の救命堂は閉店(食欲がわく外観ではなかった)。
浅草の八ッ目鰻本舗でも食事はできるらしい(ヤツメウナギと薬酒とのセットがよさそうだが、テイクアウトが主か)が、漢方薬局は近くにある。上野店は漢方薬局のみ。
千葉大医学部では、タラ根皮、一位、連銭草、十薬(ドクダミ)の糖尿病(血糖値管理)への効果を研究してると。
お口直しに、比較的マイナーながら特異な処方として、和歌山方面の「わかのうら薬」というのもあります。戦国時代末期の慶長3年創業!
比較的高価ですが、地元の薬局ではよく売られていて、下痢気味の胃腸不良に適するようです。
この処方の特徴としては、一般的に日本の和漢薬の処方は、含まれる生薬の種類が少ない傾向があると思います。一方支那大陸の処方は、複雑で生薬数が多い気がする。漢方の歴史としては、支那から伝来して、室町時代に日本独自の展開があった。民間薬はまた少し異なるのか。
この”わかのうら薬”は支那的。使用されている生薬はありふれたものばかりですが、これを伝えた石山本願寺教如上人は、支那の文献から引用したのではなかろうか。
漢方の法則としては、生薬数の多い処方(わかのうら薬等)は慢性病用、少ない処方(陀羅尼助等)は急性病向きとされますが。
極端な中医の処方としては、一般的に下剤に使用される”大黄”一味で、精神病(おそらく急性症状に)に使用される「将軍湯」なんて処方もある。RG-タンニンという成分が向精神作用があるという。
一方、今回のういろう(透頂香)は支那の元朝時代由来とされていますが、比較的含有生薬数は多めで、貴重な生薬”麝香”なども含んでいるので、対面販売しかしていないのでしょう。
店では中華料理レストランも併設してます。
家族が武漢熱で寝込んだ時もういろうで重宝しました。
#(株)ういろう
〒250-0012
小田原市本町1-13
Tel;0465-24-0560
営業時間;10:00〜17:00
定休日;毎週水曜、第三木曜定休(12/31〜1/1休み)
おいしくて健康に良い度:★★★★☆
]]>JUGEMテーマ:温泉
二大神宮をお参りして、おまけに龍神様からパワーを頂きましたが、温泉宿チェック・インにはかなり余裕のある時間だったので、車で無目的にぶらり(パワーの無駄遣い?)。
新婚時代に千葉北西部に4年ほど住んでいたので、房総半島の田舎道をのんびりドライブするのが今でも好きなんです。旧ブログ時代にさんざん記事にしたのですが・・・。
今回二か所のみ改めてドライブ情報を紹介しときます。
もちろん好みがありますが、食べ物のお土産で最もおすすめなのが、生湯葉の製造販売所である「ゆば喜」(地図)。
湯葉といえば関東では、日光や山梨の身延が有名どころなのですが、料亭でしか食べられないようなとろける湯葉がパック入りで、保冷剤と共にお持ち帰りできます。各地で購入したこともありますが、千葉のは間違いなし!乾燥湯葉を戻したものは問題外。
通販でも購入できるはず。
もう一つ、こじんまりとしたテーマパークとして、「大多喜ハーブガーデン」は(旧ベジタブル・ガーデン)(地図)。ハーブやアロマオイル、野菜類の販売。オリジナル商品も少なくない。食事もできて、ドッグランもある。全天候型室内ガラスハウスですが、真夏は少し暑いかもね。
かつては、300mほど離れた場所に、さらに広くてハーブ園に囲まれてホテルまである本拠地があり、こちらはハーブアイランドと呼ばれていたと記憶してるのですが休業中。
ところで本日の宿泊地である、千葉県旭市の飯岡温泉(多分宿は一軒のみ)へ。海水浴場前の「いいおか潮騒ホテル」。
かつて千葉の温泉は日帰りを含めてだいぶ行きましたが、ここの黒湯の濃さはトップクラスか?日帰り入浴も人気。
千葉の黒湯といえば、富津市の「青堀温泉 ホテル静養園」は、メタンガスも含み強烈でしたが閉館と(泣)。
チェックイン時間15分くらい前に到着。
三階建てのこじんまりとした清潔な温泉ホテルですが人けなし。
武漢熱騒ぎではこんなものなのか。
とりあえず大浴場を見に行きましたが、日帰り入浴後でマッサージいすにくつろぐ高齢男性が一人。最初に見たお客さん。
温泉好きの私は、ブログの為に浴槽の写真を撮る目的でチェックイン前に到着して、写真の許可を得て撮ったりするのですが、直前まで日帰り入浴客がいるのか。
誰もいないことを確認して撮りました。
泉質は、知る人ぞ知るの黒湯!東京23区内大田区で有名な!
♨入室して荷物を置かないと温泉が始まりません。
翌朝はスマホの目覚まし時計をセットして、朝の一番湯を目指したのですが、電磁波障害嫌いで枕元から離しておいていたので、慌てて起床音を消そうとしてベッドから転げ落ちてしまい、かなり痛かった。音も響いただろうが、私以外の宿泊客は一人しか見かけず、たいてい朝風呂には入るよね。
急いで浴衣に着替えて大浴場へ直行。幸いなことにまだ無人。
この黒湯の濃さを見よ‼
半かけ流しか。
黒湯は殺菌作用以外に薬効豊富。
ロビーで瓶ビール(樽生は無し)を飲みながらとりあえずソファーで外を眺めて一休み。
それでは夕食の写真。今回は部屋食のプラン。高級温泉宿でも、近年は部屋で食事ができるところは減った印象です。部屋のほうがくつろげますよね。
昨年夏の家族旅行では、箱根温泉の高級宿でしたが、夕食時間と、楽しみにしていたTVの心霊番組と重なってしまい、食事部屋にTVがなくがっかりしたものでした。普段は大河ドラマくらいしか観ないのですが。
最近は低糖質食にしているのですが食物を残すと罰が当たりますよね。十分おいしかったです(食レポにはなってないな)。
朝食はこちら。もちろん部屋で。
温泉には計4回入りましたが、3回は無人で大浴場独り占め。1回のみ男性が(あたりまえですが)一人いました。一泊で宿泊者と出会ったのがこの時のみ。
ビール1本含め、じゃらんのポイント使用で-2300円引いて、総計¥13822でした。
#いいおか潮騒ホテル
お問い合わせ・ご予約TEL:0479-85-6677/FAX:0479-85-6678
〒289-2713 千葉県旭市萩園1437
E-mail iioka-s.htl@email.plala.or.jp
都心近くで温泉好きにはたまらない度:★★★★☆
]]>JUGEMテーマ:一人旅
本年も初詣一泊一人旅、だいぶ遅い時期ですが行ってまいりました。
以前も記事にしましたが、もちろん行き先は、香取・鹿島神宮。
ここ十年弱は、毎年お参りしています。伊勢神宮に次ぐ、ともに由緒正しい神社ですが、日本武道・武術にもゆかりがあります。
年一度の家族旅行はともかく、この歳になりますと、子供はまったくオヤジと遊んでくれません。子供を残して、妻と二人で宿泊するのも心配なので、毎回一人旅。独身時代は、北海道から九州まで車で一人旅したものでした。
最初に訪れたのが鹿島神宮。
おめでたいことに、本殿の上空には竜のような雲が出現。
本当はもう少しはっきり見えたのですが、周囲の女性がしきりに写真を撮っていて、自動車内にスマホを置き忘れたのに気付いて慌てて取って返して撮影。
ちょっと間を置いたら、またはっきり見えてきました。右下は仮殿。短時間で薄くなった雲がすぐに濃くなるとは?
近くには緑色のエネルギー体? 緑龍? しかも昇龍?これも縁起が良いのかな?
本殿からほぼ180度反対側の祈祷殿の上方。良い具合にねじれてます。
お参りを済ませ、お札などを購入してから、要石にも参拝。鎮守の森を歩くと、悩み事も忘れていつもすがすがしい気分になれます。
次には香取神宮へ。
こちらのほうが少し地味なイメージがありますが、より格が上だという説もあり。
門前にあるお団子屋の看板鳥であるQちゃんは、加齢のためかこの時はしゃべってくれませんでした。お土産に自然薯を購入。
令和4年1月ころ、天国に旅立ったそうです(´;ω;`)。
お参りが済んで、今回も奥宮と武術の遠祖の墓参りに行こうとして振り返ると竜神様も!?
鹿島と香取の要石は、地下でつながっているという伝説もあるが。
水戸黄門が脇の地面を掘ってみたが、途中で断念したとも。
不思議な気分も味わい、本日の温泉宿へと向かいました。
]]>
JUGEMテーマ:気になるご飯やさん
以前も何回か紹介した、東京福生市の酒蔵である「石川酒造」ですが地ビールも人気で、私は通販で取り寄せて毎日飲んでます。
本社敷地内は売店以外に自由に見学できますが、元来二軒の食堂もあります。一つは以前から継続して営業しているイタリアン・レストランの「福生のビール小屋」で、二つ目は今回紹介する、雑蔵が新装開店したおいしい活魚料理が楽しめる「食堂いし川」!!!
私は和食党なので、リニューアル前の、そばを中心とした和食の「雑蔵」が平成の終わりころに閉店したことに大いに落胆したものでした。90歳台の地元のおじいちゃんも当時毎日のように訪れていたらしい。
おいしい地ビールが生で飲めるので愛用してましたが、「そば+和食もろもろ+お酒」といった趣向は、八王子の「車家」等の影響だったのかも。元祖は「坐忘」だそうですが。私はビール重視ですが、かつての雑蔵は、蕎麦がいまひとつでした。
一時おにぎりやとして復活していたのですが、やはりこれは”つなぎ”でした。
大復活して、一か月以上も気が付かなかったのは一生の不覚。
地ビールファンには欠かせない存在となるでしょう。
有給休暇所得して平日昼に予約、指折り数えてやっと訪れました。
自粛期間(本当は食堂での武漢熱感染の確率は家庭のほうが最大10倍高いらしい。)でもあり、まだ本格営業ではなく、オフィシャルHPの紹介は目立たない。結局自宅で食べるより安心みたい。
ワクワクしますね。
外はいつもの風景で、左側がイタリアン店。
開店時間の11時半に入りましたが、先客あり。
雑蔵時代とは、テーブルが90度配置が変わりました。
奥から振り返った写真。
樽生ビールは、ペールエール、ピルスナー、セッションエールの3種で、前二つは、酵母入りの無濾過。
さすがにシマアジ(1尾¥8000?)は高額で手が出なかった。回転ずしでは気軽に食べられたが。物が異なるのか。
特選刺身定食の刺身(高めですが)は新鮮で最高でした。写真のビールはペールエール。
刺身もビールも大好物なので至福の時を過ごせました。
#一番地の酒と活魚『食道いし川』
新鮮な海鮮和食と『多満自慢』(日本酒)、『多摩の恵』『TOKYO BLUES』(クラフトビール)とのマリアージュをコンセプトにしたお食事処です。
※現在は夜の営業を中止しております。
【営業時間】(2021年1月8日〜期間未定)
11:30〜15:00 (ラストオーダー14:30)
【定休日】
火曜日・水曜日
【TEL】
042-513-7020
080-3491-3836
商運長久度;★★★★☆
]]>JUGEMテーマ:気になるご飯やさん
圏央道相模原ICから車で約数分。
「平成28年9月24日(土)日テレ・ぶらり途中下車の旅」でも紹介されたという、老舗旅館「桂川亭」 (大正3年創業のけいせんてい)に付属する食事処「別館・鮎や」で冬の平日昼に食事してきました。
心霊スポットとしても名高い津久井湖(記事の続きに写真あり)も近く、相模川東岸にあります。ちなみに津久井湖でびしょ濡れの女性客を乗せたタクシードライバーのお話は以前から聞いたことがありますが、試してみようとあるタクシー運転士は、何度もその橋を往復したらしい。とうとうある日、女性客を乗せて目的地について振り返ると、女性はおらずにシートが濡れていたと・・・。元水死体だったとでもいうのだろうか。
今回の目的地は自動車がすれ違うのが恐ろしいほどの幅である小倉橋(昭和13年に開通と)のすぐ東脇です。新小倉橋ができるまでの通行は大変だったらしい。相模原ICからは、新小倉橋を渡ってしまえば、遠回りになるが小倉橋を通らずに済む。・・心霊スポットの当事者になりたい方は古い橋で?しかし新しい方も怖いらしい。
この橋周辺は、かながわの景勝50選の一つ。夜はライトアップあり。
西側では、相模川の河川敷で車が停められ、バーベキューもできるそうです(トイレもありと)。
川のほうにある築80年ほどの食事処「別館・鮎や」の外観は、田舎の飲み屋といった雰囲気。
相模川の大水でも被害はなかったという。
高台のほうには旅館の桂川亭。最初はこちらに入ってしまったのですが、無人で不安になりました。予約してあったのですが。
店内が暗いので開店してないのかと思ったのです。
なかなか野趣あふれた風情です。
座椅子の背に見えるのは武田菱?戦国時代は北条氏の領地だったのでは。
この川ではかつては鵜飼いも行われており、店の大将(50歳くらい?)もかすかに覚えているとのことで、今では剥製になって出迎えてくれます。
昔の写真。
鮎の干物がお土産。
食事はランチではなく、もつ鍋と鮎のセットでしたが、ビール中瓶2本の2名で1万2千円ほど。(生ビールなし、もちろん帰りの私は運転しません。)
前菜はおせち料理か。
この時はミソのもつ鍋(豚)で少し臭味があったが、猪鍋(ぼたん鍋・・豚肉より淡泊)もあるらしい。
鮎のから揚げは二人で一皿。普段揚げ物は健康上食べないが。
鮎の塩焼き。皆頭から食べられた。比較的食いしん坊の私もこの前に満腹になってしまった。
零余子ご飯の量も多め。漬け物は味が薄すぎ。
夏季は鮎の刺身も食べられるが、これが最高らしい。
ギシギシと音のする狭い廊下に出てみました。
満腹になり過ぎて、ちょっとだけ外を眺めました。
右に小さな水天宮(右奥にお店)。総本宮が久留米市にあるとは今知りました。川向うはBBQの車かな。
#別館・鮎や
;予約が基本。
〒252-0111
神奈川県相模原市緑区川尻1119−12
予約直通電話(両店舗共通)
TEL.090−4592−2400
TEL.042−782-7600
FAX.042−782-2957
地図
BBQもいいけど鮎やもね度;★★★☆
]]>
JUGEMテーマ:気になったニュース
内閣官房からの情報はこれ。
新型コロナ肺炎=武漢肺炎=テドロス・近平熱=COVID-19 が大変な状態が継続しています。
<一応逐一データは更新中。私の好む情報提示が目的です。>
スペインかぜ(インフルエンザ、Flu)以来の、パンデミック。
インフルエンザ・Vi.(ウイルス)は比較的身近なせいかそれほどでもないのですが(今まででも毎年かなり死んでるそうですが、今回はこの騒ぎで、手洗いなど皆が頑張っているせいか、Fluのほうは下火だそうな、海外では?)、武漢ウイルス(死亡率はFluの10倍か)と比べると、まだ正体がはっきりしていない分、後者のほうが怖かった。現実的には、Fluが下火だったせいで、高齢者の流行性呼吸器感染による死者数はかなり減ったはず。元来高齢者から亡くなるものなのだが。
エンベロープのないノロ・ウイルス等と比べると、この二者はエンベロープを有し、Vi.に対するアルコール消毒が有効というのですが。しかし消毒用アルコールも不足・・・。焼酎やウイスキーは有効か?アルコール60〜95%でよいらしいが、エンベロープウイルスには高濃度のほうがさらに効くらしい。
最後の呼称が正式な病名らしいのですが、活舌の悪い私には発音しづらいです。支那に忖度した名称!!
武漢熱等の呼称がだめ(以前から自分のところから感染が発生するだろうからと、病名に関して支那政府はWHO圧力をかけるという布石を打っていたと)なら、スペインかぜ、日本脳炎、蒙古斑、日本住血吸虫なども止めてほしい。アルツハイマー病は精神科医の名前由来だが。
飲んで胃袋内を消毒してもあまり意味なかろう。糞口感染するとはいえ、Vi.が粘膜から侵入するのは数分くらいで成立するらしい。
カテキン含むお茶で口内ゆすいで飲むのも、数分毎では・・。まして体温より低いお湯ではだめでしょう。うがいも効果は低いが、やらないよりはよいのか。うがいにも使用されるイソジン液等のヨウ素は強力だが、口内には善玉菌もいるし、数分でViが侵入した後の口内を滅菌しても意味ないのでは?口唇周囲の滅菌ならよいか。
消毒剤として次亜塩素水なら一通り有効のようだが、食品添加物にもなるものの、使用には注意が必要。もちろん次亜塩素酸ナトリウムは強力で全く使い方が異なるのでさらに危険性が高い。
紫外線照射は有効。
湿度80%で日光に当てると、最短2分で活性が半分になるという。これも紫外線の効果か?
ハーブのティートリーやユーカリ等も抗ウイルス作用あり、私はこれを含んだもので体を洗っている。自宅に帰ったらまず顔と頭は洗わねば。
ヒバエキス(ヒノキチオール)もウイルスに有効。入浴剤で利用してますが、楽しみながら対策しないとね。
寝巻類は、抗ウイルス効果を期待して本藍染品。本当の藍染衣料は少ない。古流剣術や杖術の稽古着や袴にも愛用してるが、今や稽古も休みですが・・。
抗菌(ウイルス)蛍光灯というのもあるが、棒状の蛍光灯は工事の必要がある(間違って買ってしまった💦)。電球型はすぐ使える。
空間除菌商品に関しては、以前から賛否のある「クレベリン」は、濃度が適切ならそれなりに有効との話もあるが、実際の予防効果は?
有名な、プラズマクラスターイオンやナノイーイオンも、元来抗ウイルス効果のデータを持っていると。
しかし古くからある家庭用のオゾン発生器のほうがさらに良いと思われます。もちろん高濃度では有害で、使用法には注意が必要か。
比較的高価だが次亜塩素酸利用機が最良なのか・・?ペットのワンコに間質性肺炎発症との噂もあるが。ペットのにおい除けレベルでは使用すべきではないのであろう。抗ウイルス効果目的に使用するべき。
大事な手洗いはこちらを参照のこと。
基本は当然免疫力を高めることですが、栄養バランス、休養、適度な運動(激しい運動が1時間くらい過ぎると、一時的に免疫力が下がるらしい)でしょう。
エビデンスに基づいた生活法の基本はこちら。
2021/1 発表のデータでは、かつて重視された接触感染(手指消毒は今でも重要と)影響は、飛沫感染よりかなり低いと。
ビタミンDや亜鉛などのミネラル、タンパク質もよいそうです。製薬利権があるから、厚生省は必死に否定!
簡単にできるものとして、こんな健康法もあります。
パンデミックに至る根本的な責任の重さから判断すると、血祭りにあげて歴史に刻むべきは、支那の手先であり、支那に心臓をささげた男;WHO事務局長テドロスと、人類最悪の敵である、支那トップ臭菌payであることは明白。
すでにWHOの評判も地に落ちた。
生物兵器説は、アカデミズムでは否定されているそうですが。医学会もWHOに左右されているようでは・・。事実なら世界中で支那に損害賠償請求しませう!
米国では訴訟がすでに始まっていると。
支那人自身も生物兵器と思っているらしい。
華南理工大(広東省広州)の肖波濤(しょう・はとう)教授は2020/2/6日、研究者向けサイトに投稿した論文で、同市場から280メートルの近距離にある武漢疾病予防コントロールセンターからウイルスが流出した可能性を指摘したと。その後論文は削除され、同教授は消息を断ち、安否は不明に・・。
支那政府は、アメリカCDCの立ち入り調査を4回も拒否していて、本当に怪しい。
ある筋からの情報では、2019/11/22 武漢のウイルス研究所職員に新型ウイルス感染が確認され隠ぺい。
年内に米国で、遺伝子操作されたウイルスであることが確認されたという。しかしその情報は日本には届かなかったと。
支那の春節で、大量のウイルス保持者の来襲が予想されていた段階で、目先のインバンウンドに目がくらんで、首相自らウエルカムであったわけですから本当にひど杉。
医療現場も含めてマスク不足騒ぎの中、日本の分(マスクに予防効果は乏しく、周囲への拡散防止が主な目的)をパンデミックの責任者である敵国に送りやがって。敵に塩を送るのとはわけが違うぞ!マスク類では、最初に自国民に対応するべきなのに、勝手に送ったそばから、敵爆撃機が尖閣周辺に来襲するという、相変わらずの恩を仇で返すことをされている。
おまけに、自分たちの隠蔽をよそに、日本や米国を嘲笑するとは・・・。
横浜で支那人?同士が、マスクをめぐって殴り合いのけんかしていたりとのことだが、自国でやれ!
マスク増産間近(マジカ?)というのですが、何よりも感染源の大陸からの完全渡航制限もいまだにせず。日本では2F等の親中派の責任ですが。
さらに、指定伝染病となり治療費は公費負担になるらしい。
これまででさえ支那人が、日本の生活保護制度を悪用したり、日本の医療費を食い物にしてきている。
今回も「日本へもぐりこめば安く治してもらえるぞ」と、すでに奴らには話題になっている様子。
今回のパンデミック、さらにバッタ来襲がなくても(変な蛾も発生)、ただでさえ支那経済は崩壊必至なのですが、日本の財政も大変だ。
前門の虎後門の狼というが、虎は支那朝鮮、狼は実は日本の少子化なのですが。(さらに本当の虎は・・)
当然支那の工場休業によって大気汚染が改善するわけですが、PM2.5等の減少によって救われた人口のほうが、武漢肺炎死亡者より20倍多いというデータもあるという。それまでの支那があまりにも酷かったということ。それに依存する世界もダメなわけですが。
安倍政権は、対米ケツ舐め外交と批判されてきたが、実はもっと汚らわしい、対支ケツ舐め外交をしているのか。武漢ウイルスは糞口感染するぞ!2Fが元凶だろうが。
安倍首相の後継者問題に関しては、期待されていたガースーが、支那の手先の一人である北海道知事を支援していたとは。
そうなると河野太郎防衛大臣以外はカスということになるが、親父が日本史上最悪の売国奴の一人「紅の傭兵」なので、ミソがついているか・・。
石破は北朝鮮のハニートラップに自分からハマった男で問題外。
小泉は情報弱者のおばさんには受けるだろうが。
岸田もダメ。
本当に最高なのは、WHOに嫌がらせをされてるにもかかわらず武漢熱対策に成功している蔡英文か!?台湾の公衆衛生の基礎を作ったのは、日本の後藤新平だが。
戦前に旧日本軍は、帝国主義の時代に支那大陸で条約に基づいて活動し、紛争が長引いた責任は日本にはない。
膨張主義のロシア〜ソ連・共産主義者に、大陸や半島まで侵略されれば、日本民族蹂躙・消滅は避けられなかったでしょう。
第二次大戦末期、ベルリンでは女性の6割がソ連赤軍兵に強姦されたと。ソ連軍では、敵の女はお前たちの得物だからそれ目指してがんばれ、といった状態だったのであろう。
元・モンゴル軍の蛮行も有名ですね。
大東亜戦争敗戦時、大和なでしこも米兵にやられた。
朝鮮戦争では、南朝鮮は売春婦をドラム缶に詰めて米兵に提供した。今では日帝のせいにされているようですが。
当時最低限の人道に配慮したのは日本だけではないのか。
旧日本軍は、従軍売春婦(日本女性もかなり多かった)に対して健康管理をし、高給を支払いなどしたが。東條大将以上の収入を得た朝鮮女や、日本兵と結婚したりなど、当時は最ものどかであったであろうが、こんなことは日本だけであったのだろう。一部売春婦斡旋業者の中で、不正行為をしたのは朝鮮人業者で、旧日本軍は取り締まりをしていた。
横道にそれましたがどちらにせよ、常に恩を仇で返す大陸は、初期対応すべきを放置して隠蔽、当初各国の渡航制限を批判し、マスクなどもらっておきながら、さらに現状の情報を封鎖したうえで、今では武漢肺炎対策は、日本のほうが対策が遅れていると支那が批判する始末。
一時は世界的に、日・支・南鮮はコロナ三兄弟になるところでした。日本はイタリアを加えて、新枢軸国でも結成するつもりだったのか!?・・と誰かがネットで言っていた。
米国も武漢熱で大量死してるのに。
その後日本は脱退できているが。
春節時、支那人の流入阻止は失敗したが、その後の対応は各国と比較すると健闘している。視聴率アップが目的のマスゴミどもの煽りに乗せられず、ピークを遅らせ、医療崩壊を防ぎ、頑張っていきたい。ピークが遅れれば、対策する準備ができる。
特に自衛隊病院はすばらしい!!
武漢は完全に閉鎖され、ミサイル部隊やサイバー部隊まで含む人民解放軍が大量に取り囲んだと。逃げる兵を殺す督戦隊も出動したらしい。
毛沢東はかつて、自国民を1億人くらい虐殺してきましたから、今回も…。武漢熱対策チームには、公安・宣伝部などが中心で、医療や公衆衛生の専門家はいない(再生7分20秒あたり以降参照)らしい。
反日左翼が大事にするという人権を、独裁国家では一方的な患者封じ込めは容易。サイバー部隊により、情報のコントロールに成功しても、感染が抑制されたかどうかは当然不明。支那政府の発表する数字をまともに信じる輩もいるが。
支那の各痴呆政府は、新規発症数を正確に北京に報告すると罰せられる。中央政府の命令通り、急に新規発症数は激減と、やはり支那の感染抑制というのはウソ。期待するほうが馬鹿なのですが。
建前だけの支那トップの武漢訪問時、周囲の団地の住人から「嘘つき!」痛罵される動画が一瞬支那でも流れてしまったと。反習近平派が、少しはがんばったらしい。一時反乱軍の戦闘機が出撃して撃墜されたとの噂も流れた。
日本のマスゴミでは支那のプロパガンダを流しているだけ。
武漢を取り囲んだ人民解放軍内のサイバー部隊は、情報だけは封鎖できた。
病院という名の急ごしらえの収容所に閉じ込められて・・・。
武漢上空では、死体を大量に焼却したような大気汚染の兆候はデマだというが・・・。
大東亜戦争時南京事件では、南京市民20万人に対して、「30万人が虐殺された」とデマを流し、実際の人口はほとんど変わらなかったというが、プロパガンダ戦は、日本は現在まで連戦連敗。「嘘は悪徳と感じるのは日本人のみ」と思われ、かの国などは自分に都合がよければ嘘は当たり前で、何ら良心の呵責はないという。
日本の感染症専門家にも、反日学者がいたり。医学的にはいくら一部正しくても、何が人類の敵か解ってないようではね。
さらに肩書きが立派だったり、医師や専門家でもおかしな発言が多いようです。
日本での外患誘致罪の戦犯2Fはこの期に及んで、支那に感謝だと・・・あきれ果てて、とほほ。お礼参りじゃなかったの?
武漢肺炎で東京オリンピックはもう無理でしょう。延期がベスト。支那が自国より日本のほうがひどいとプロパガンダ戦はすでに開始されている。
支那政府は意図的にパンデミックを広めて、自分たちへの批判をかわすことさえしているのではないという考えもある。
その後日本の教科書が、「日本肺炎が原因で、清潔で罪もない北京人民が3000万人感染!」などと書き換えられないことを願います!
便所の後に手を洗う支那人は4%で、現在の北京人口は東京の1.5倍ほどだそうですが。
愚かにも米国にケンカを売っているが、墓穴を掘ったな。支那の調略が進んでいるとはいえ、トランプ氏なら対抗できそう(共和党で本当に良かった)。でもトランプさん、中国ウイルスでは単純すぎるので、武漢ウイルスをお勧めします。多分アメリカ俳優ブルース・ウイルスさんもそう言ってるかもね。
支那政府はアメリカに責任転嫁しようとしているが、ウイルス兵器を支那人がアメリカから盗んできたという情報も。
2020/03 月の段階で、我々庶民がどう生活したらよいかは、この動画が参考になると思います。
しかし悲観的な情報もあるが、実際危険なのは医療現場のみ。
]]>
JUGEMテーマ:気になったニュース
久しぶりの愛国ネタです。
日本列島が、北と南から侵略されつつあると。
まず北海道は、元来反日左翼の勢力が強い。赤い大地とも言われている。
すでに北海道に支那人を導入して、人口を倍にする謀略が進んでいるという。
アイヌ新法で、アイヌ利権問題が明らかになったようです。アイヌ協会副会長は北朝鮮のシンパ。
部落差別をネタに、利権に群がった人々と同じ構図なのでしょう。
北海道の各地に支那人コロニーもできていて、反日の拠点にさえなっていると。水源も買い取られている。支那にはすでに国防動員法という法律が制定されていて、共産政府が一方的に有事と認めれば、「日本在住の支那人は皆、人民解放軍の傘下で便衣兵として動かなければならない」。
たとえまともな支那人でも、指示に従わなかったら、大陸に残された家族が虐殺される。
以前も記事に書いたのですが、今回の沖縄。
複雑な歴史があるようですが。
琉球国という存在は江戸時代当時、したたかに支那(清)と日本(薩摩)に対して両面的に外交関係を持っていたと。正確には王国とは言えないらしい。
鎮西八郎為朝が沖縄に流れ着いて、琉球王家の始祖・舜天になったので伝説が有名です。剛弓の使い手ですね。島流しになって、もう弓を引けないように肘の腱を外されたのに、討伐軍の船を弓で沈没させたという、とてつもなく痛快な豪傑!
第56代清和天皇の末裔が、琉球の始祖だったというのです。
反日学者は、沖縄県人のルーツは南方から来たと言ってるらしいのですが、DNA分析によると、アイヌや本土と同じように縄文人であり、支那や朝鮮とは無関係と。
そして今回の首里城炎上問題。
戦前の大正14年に国宝に指定され、元来は黒瓦だったと。
沖縄戦後平成4年に再建され、世界遺産なのは首里城跡であって、けばけばしい支那風に偽造されたテーマパーク的な赤い建物ではないと。
国の財産で、県に管理が委託されていて、火災の責任は県にあるという。
単なる反日というだけでなく、チェチェ思想家(朝鮮語でいうチュサッパ)であるという疑惑の沖縄県知事は、火災前日には半島の敵国(日本人を虐殺して、領土を奪った)に出張して、売国活動をしていたとのこと。沖縄大学の学長もチュサッパだという。
北朝鮮のチュサパはかなり日本に食い込んでいる。すでに二代目が、「対日工作は既に完了している」とうそぶいていたと。
一方支那風だった赤い首里城は、かつて正殿の背後に琉球尚家の祖とされる源為朝と歴代王を祀る「沖縄神社」があったのに、1kmほど離れたところに小さな祠で祀られたままだったと。これが心臓部では?
最も問題なのは、「首里城祭」では国内外の観光客の前で、世にも屈辱的な支那隷属の冊封儀式【三跪九叩頭の礼】を披露する売国宣伝工作が行われているという。
即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)の数日後の火災で、放火(どこかの国技?)も疑われているそうですが、天罰という発言がでてもおかしくはない。
本来の姿に再建されることを心から願います。
評価:
仲村覚,仲村俊子,石井望,江崎孝 示現舎 ¥ 1,019 (2015-05-09) コメント:未読ですが、大和んちゅーも少しは勉強したい。 |
JUGEMテーマ:温泉
夏休みに家族旅行で、熱海温泉に宿泊しました。
高度経済成長期、首都圏に近い熱海は最も人であふれたのでしょうが、当時私は小児期で、夏の家族旅行はたいてい熱海でした。
その十年後くらいにも宿泊(その時は、あたみ百万石だったか。今は星野リゾートに買い取られたらしい)しましたが、すでにかつての大きな旅館群の廃墟があった記憶があります。
今回はそれ以来の宿泊。車で通り抜けたことは何回もありましたが。だいぶ人気も復活してきたと。
熱海の中心部から北の山方面にある、横山大観ゆかりの老舗旅館 熱海「大観荘」。
横山大観に関しては、美術鑑賞に関して、ほとんど興味のない無粋な私でも、気になります。
今生、自分の意志で美術館類に行ったのは、彫刻の森美術館(箱根と美ケ原の二か所あり)以外では、刀剣博物館(日本刀は現代では美術工芸品)と、その他刀剣展示の特集があったほかの美術館ていど。
旅館外観の写真は忘れてしまいました(汗)。
玄関前からの海の風景。
昔の周辺絵図。
老舗高級旅館で、湯量も豊富でしたが、やや老朽化していました。
まず温泉の紹介。
源泉を二つも所有しているようです。熱海温泉全体では、500本以上あると。ここは熱海で多い食塩泉(塩化物泉)。山の方では硫酸塩泉が多いそうで、熱海は食塩泉というイメージでしたが、本来は硫酸塩泉が多いと。
子供の頃の家族旅行で泊まった宿は、たいてい海沿いで、温泉は海水浴帰りに入ったりしましたが、海と同じ味がしました。もちろん浴槽のを飲んだりしませんでしたが、子供心に、みんなが海水浴帰りに入るので、こんなしょっぱくなってるのかなと思っていた記憶があります。実際は、源泉に海水が混入しているからと。
早めに宿について、時間前に旅館に断って、写真を撮るのが正統派。こちらはひのきの湯。
熱海に多い食塩泉については、海近くよりも塩分濃度は低い感じ。冬はあったまりますが、夏はホテル。
時間帯により男女入れ替えで、山王の湯。
こちらは貸し切りの湯。無料だったと思います
沖に見えるのが、初島でしょうか。
部屋にも温泉の出る内湯があるんです。源泉かけ流しで、熱い源泉のコックと、水のコックの、出す量を自分で調節する必要があります。出しっぱなしで帰らないように。
私は温泉マニアですが、年のせいで、そのあとのビールのほうに興味の中心が移ってしまいました。部屋にあるビールをこの浴槽に持ち込んで飲むのがいいんです!
退屈する方もいるかもしれませんので、次は夕食へ。
水だっておいしいんです。
こちらは翌日の朝食。
しゃれたエステもあるようです。
最後に泉質の紹介。
#熱海 大観荘(たいかんそう)
〒413-0031 静岡県熱海市林ガ丘町7番1号
TEL : 0557-81-8137 FAX : 0557-83-5308
MAIL : taikanso@atami-taikanso.com
温泉の豊富さ・食事・眺望・首都圏からの近さなどから文句ない度:★★★★☆
]]>JUGEMテーマ:気になるご飯やさん
「雑蔵」は、福生の酒蔵として以前も紹介した「石川酒造」内にある食事処でしたが、閉店していて、1年半くらいぶりにやっと「ぞうぐら」(お持ち帰りが中心)として、令和元年6月14日、午前10時半に再開されました。これまで「ぞうくら」と発音してた・・。
それにしても、このブログの記事自体、最後の記事投稿から1年以上時間が経ってしまいました。過去の記事の修正や追加などはしてたのですが。(汗)
知人からだいぶ前に、チラシをもらって知りました(その頃はまだオフィシャルHPにも紹介されていなかった)。
あまり消費していなかった有給休暇などを使って、6/14(13日で無くて良かった?)金曜日の開店10分前くらいに到着しました。
列の順番は5人目ほど。
この日から三日間は開店祭りと。
食いしん坊でしたが、年のせいか量は減るも、生ビール好きは中々治りません。
酒類の健康に安全な量は、かつての報告より少ない方が良いとの、データは知っていて、普段はなるべく、瓶入り・無添加ノンアルコールビールを併用して誤魔化しているのですが。これでも健康オタクなもので・・。
ダイエットにはそれなりに成功して、標準体重内に入り、体内年齢も、20歳近く低く出るようになりました。かつてはふて腐れて計ってもいませんでしたが。
それはともかく、帰りのドラーバーをいつもしてくれる妻を連れて、マイカーで行きました。JR拝島駅からの徒歩だと10〜15分くらいと。
すぐ左が事務所。
そのすぐ隣にある黒板。
この黒板には、開始時間が10時ちょうどと間違ってる。店員さんに指摘したのに、「それは売店の始まる時間です」とか言って、気がついていない様子でした。この時間を見て早く来てしまったご近所さん?もいました。
写真右奥のイタリアン・レストランはまだ開店1時間前で(若人にはこちらがお勧めか)、お土産購入や敷地内見学目的で歩いている人も結構いました。
前と変わらない雰囲気でしたが、お持ち帰りが主なので、少し席は減ったかな? 調べたら、木のテーブルが90度移動したようです。
外側の席は変わらない。
こちらで食べましたが、歩いている人と目が合ってしまう(眼)。
メニューはこちら。
またしてもピンボケ・・。健康オタクは揚げ物を食べないし(セットに入った分は仕方ない)・・・・。昭和の男は食べ物を無駄にしないのだ。
おにぎりの人気店は、気にしたこと無いですが、妻が言うにはレベルは高くないと。
GI値は、パンよりましか。近年小麦の害を知ってパンは食べないが。
GI値が高い物は後半で食べた方がよいという。インスリンの上昇がゆっくりになる。
しかし、果糖はGI値が低いが、甘味料として使用すると健康的では無いらしい。果物として摂取する果糖とは働きが違うのか。
今話題の糖化防止にも、GI値は低い食物が良いらしい。
瓶入りでさえ、めったに買えない「トヨダ・ビール」も、生で堪能し、明日から再開する健康生活の誓いも新に、妻の運転で帰路に就きました(汗)。
生ビールは最高だが、糖質が多すぎる度:★★★☆
令和3年1月6日?「食道 いし川」(活魚料理)として再開したと。当分午前のみですが、近日紹介予定!
]]>JUGEMテーマ:気になるご飯やさん
桜の季節に、神楽坂に行ってみました。
学生時代など、JR中央線を見下ろす外濠公園を散歩したことを思い出し、早めに飯田橋駅を降りていきました。公園と言うより、遊歩道並の幅ですが、時間のあるときは、JR四谷駅から飯田橋駅まで公園を歩いたもんでした。
当時は脇にある法政大学も、学生運動の痕跡が色濃かった時代。
かつてはもっと花見客もいた印象でしたが、満開の少し後でそれほどでもありませんでした。
市ヶ谷駅方面に歩き、新見附橋を渡り、外堀通りを戻りましたが、こちら側の方が桜は綺麗でしたね。
お堀のボート乗り場は、ロケーションが人気のイタリアンレストランなんですね。ただのボート乗り場と思っていました。
平日開店11時の10分くらい前でしたが、十数人くらいの多くは女性客が並んでいました。
東京のお堀は、江戸城が中心なんです。ブラタモリでもやってたようです。
江戸の町造りが天海による鬼門封じ(風水)に基づいているというのは、嘘という意見もある。
日本の風水は(風水に限らず)、本場の支那と比べると単純な感じがします。
さて本日の主なお目当ては11時に予約した、加賀生麩割烹の神楽坂「前田」。
神楽坂は人気の地域ですから、支那人なども多かった。マナーを守って、反日でなければ何の問題もありませんがね。
最近の吉祥寺で、騒ぐ支那人を注意した男性が殺されましたね。連中は、警官も滅多に銃を撃たないからなめているんですね。
かつて御茶ノ水駅では、警官が支那人に突き落とされて、身障者になったのに、50万円で釈放されましたし。
都心の店はやはり狭い。
これで広い庭でもあったら、政治家などが訪れる、いわゆる高級料亭になってしまうのか。
この平日は予約のみとのこと。
四人用の個室。周囲の話し声が結構聞こえてきます。
他にはカウンター席と、広めの個室もある。
まず印象的だったのは、出迎えてくれた女将。
年齢はそれなりでしたが、さすがに気品がありました。
屋号にもあるように、加賀100万石の繁栄に由来する加賀料理の店であることは分かりますが、生麩が名物だったのは知りませんでした。
健康のため、グルテンフリーがやっと日本でも広まりつつあるのですが。
セリアック病でなければ、グルテンフリーは不要なのか?
現代の小麦自体がダメだという話もある。古代小麦となると販売量は少なく、アマゾンでも買えますが、こちらが最も生産量が少ないらしい。我が家では小麦を避けるようにしてますが、たまには良いでしょう。
1万円くらいのコースだったかな。
姫栄螺(ひめさざえ)は大きいのに負けずにおいしかった。五郎島金時は加賀伝統野菜ですと。
生麩はお餅みたいに美味。
最近マイ箸のブームはもう去り、まだやってるんですね、みたいな言い方をされたこともあります。店にとってもコスト削減になるのですが。繰り返しますが(以前どこで書いたか忘れた)、割り箸は、間伐材を使用してるのでエコに反しないという方もいますが、不健康なのです。97%はあの支那産であると。
写真が下手なのか、色が変?実際の色は忘れました。碓井豆(碓井豌豆?)すり流しということで、この色で間違いないのかな。
射込みというのも聞いたことありませんでしたが、いろんなテクニックを駆使しているようです。
治部煮:能登合鴨、金沢大根、赤ずいき、つぼみ菜、桜麩、簾麩(加賀麩の代表)、山葵。石田治部少三成とは関係がなかった。
酢物は、桜鯛、筍梅香漬、菜の花浸し。
さすがに蕎麦も一流で、能登有機蕎麦、合鴨つみれ南蛮、能登白葱、口柚子?、黒七味(京都が有名)。
料理に関しては、申し分ありません。
でもやっぱり、私は自然に囲まれた、多摩方面の「うかい」、「鶯啼庵」、「黒茶屋」、「ままごと屋」などの田舎の方がいいな。
#神楽坂「前田」
〒162-0825 東京都新宿区神楽坂3-6
TEL 03-6457-5020
<営業時間>
平日
11:30〜15:00(14:00LO)/17:30〜23:00(21:30LO)
土日祝日
11:30〜16:00(15:00LO)/17:00〜23:00(21:30LO)
都心でおしゃれに和食を楽しむ度:★★★★☆
]]>