天皇家三代を毒牙にかけた薩長を許すまじ!其の弐

  • 2010.01.11 Monday
  • 17:49
JUGEMテーマ:叫び!
その壱からの続き

 幕末の京都は天誅と称するテロが横行し、無政府状態であったという。
長州をはじめ、浪士などといっても、多くははぐれ者、犯罪を犯して郷里を追われた者、無学な者が多かったらしい。
攘夷といえば正義で、佐幕は卑しいものと単純な妄念にとらわれていた。

そこへ京都守護職という大任は非常にリスクを伴うものであり、きまじめな会津藩にしかできなかったのでしょう。おかげで財政難にも陥った。そのため最新の武器もそろえられず、農民一揆も多発した。
そこまでして天皇陛下をお守りしていた会津がなぜ朝敵呼ばわりされないといけなかったのか。

長州藩など、蛤御門の変で御所に砲撃を加えたではないか。

その後の長州征伐では、孝明天皇は正式に征伐の勅令を出している。帝は長州を嫌っていた。
奸賊どもに暗殺されるわけです。
孝明天皇の宸翰(しんかん:天皇直筆の文章)が存在します。いかに松平容保が帝に信頼され、周辺の公家らの不正に悩まされていたかが分かります。暗に長州こそ朝敵と糾弾しているのです。

その孝明天皇が崩御されてからは、幕府・会津は落ちる一方。

しかし暗殺疑惑は孝明天皇だけではありません。

薩長は大政奉還後、権力を独占するため徳川家を滅ぼす計画を立てました。
王政復古計画の密約です。
慶応三年に、薩長は倒幕の密勅を偽作、朝廷内の公武合体派を放逐して王政復古の大号令。密勅は、天皇と摂政の許可を得ず、偽作したものであることは後に三条実愛が証言しています。
会津は愚直に帝をお守りしたが、薩長は利用しただけ。

十五代将軍慶喜は追討されることになりました。

そうした一連の陰謀で、もう一つの排除目標がありました。

それは幕末に存在した二人目の天皇「東武皇帝だったのです!
二人目の帝の存在は私もつい最近知りました。

慶応四年正月の三日、世に言う鳥羽・伏見の戦いの火蓋が切られました。

続く

評価:
星 亮一
大和書房
¥ 740
(2008-01-10)
コメント:薩長は死者の埋葬も許さず、略奪・陵辱したんですよ
Amazonおすすめ度:
歴史の裏を知る面白さ!

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  • 2017.06.15 Thursday
  • 17:49
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    コメント
    実は会津戦争の時には会津の庶民は重税に苦しんで愛想をつかしていましたので官軍を諸手を挙げて喜んで歓迎しています
    二本松藩から鶴ヶ城までの進撃では地元の領民の道案内で進軍したために会津藩はほとんど抵抗できませんでした
    わずか2日で篭城戦に入ります
    まともな戦いはなかったのです
    コメントありがとうございます。
    佐幕派としての郷土愛に基づく記事です。
    不勉強をお許し下さい。
    • オッペケペ
    • 2016/01/05 1:50 PM
    しかもこれも細部を検証すれば、敵に占領されてしまった村の農民が、占領軍に協力するのは当然であり、それが農民にとって自衛の手段だった。 だからどこの村の農民が誰にどのように協力したのか、よく調べないと本当のところはわからない。
    (《偽りの明治維新 第三章 会津藩の降伏》P.64)


     これを物語る資料がある。 人間は状況に応じてどちらにも変るのだ。板垣退助の証言は、綺麗(きれい)ごとである。 猪苗代対岸の集落に貴重な記録が残っていた。 『増戸治助翁聞書』である。
     これによると、この辺は会津軍の基地で、農兵隊もあった。 地名によって「浜路隊」「横沢隊」「舘隊」「船津隊」「中地隊」といった。 運搬(うんぱん)の人夫だった。 会津の部隊が城に戻ると、そこに官軍という名の薩長兵が入ってきた。 今度は一転して官軍側である。
    (《偽りの明治維新 第三章 会津藩の降伏》P.65)


     農民にも会津の領民としての意地がある者もいた。 同じ猪苗代湖畔の金曲(かなまがり)地区の話である。 集落の会合に敵兵が姿を現し、農民は酒を振る舞った。 したたかに酒を飲んだこの兵士は、集落の若者がかつぐ駕籠(かご)で猪苗代の町に戻っていった。 駕籠をかついだのは数人の若者だった。
     牛沼川橋まで来たとき、若者たちはこの男を川に突き落とした。 男は「ぎゃッ」と叫んで、川に落ちた。 若者たちは後ろを見ずに一目散に逃げ帰った。 ところが夜半、この男がはい出して助けを求めた。 これを聞いた若者たちは、馬小屋の出口にある厩栓棒(ませんぼう)(厩(うまや)の入り口をふさぐ棒)で敵兵を殴りつけ、引き回したうえ、長瀬川の砂原にうめてしまった。
    (《偽りの明治維新 第三章 会津藩の降伏》P.66)


     会津藩の武士のなかに脱走者がいたことは、『心苦雑記』で見たが、それを知った村の若者が「なぜ逃げた」と問い詰めて撲殺したという記録もある。
    (《偽りの明治維新 第三章 会津藩の降伏》P.66)

    江戸に送られることになった松平容保を、家臣たちは断腸の思いで見送りに来たが、これまで藩の重税に苦しめられてきた領民たちは何の関心も示さず、見送りにもほとんど現れなかった。中須賀哲朗・訳「英国公使館員の維新戦争見聞記」より[

    長くなってすみません・・・・・・・・・・・。

    これらはどれくらい信ぴょう性があるのでしょうか・・・・・・・・・・。

    むしろ官軍のほうがで残虐行為をやったでしょう・・・・・・・・。
    だって賊軍は人間でないのですから・・・・・・・・・・・。
    勉強になります。

    佐幕派の死体が、野ざらしにされ、埋葬をしばらく禁止されたなどの話は聞きました。

    しかし、日本と外国とは違うと思います。
    呪いをもたらした将門公や道真公ガ神様になったり、松平容保公も明治には許されていますし、島津家が皇室と縁を結んだりなど。敵を絶滅するという思考は、信長程度で、日本になじまないと思います。




    • オッペケペ
    • 2016/01/08 7:54 PM
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